2012/10/24
2012.10.15
2012.10.15(月)
わたしのお父さんが旅立ちました。
大好きな大好きな大好きな大好きな大好きな・・・
お父さんがわたしの目の前からいなくなりました。
5日前に病棟で話してたのに。
10月10日はお母さんとの結婚記念日だな~って。
一緒に味のうす~い病院のご飯食べてたのに。
何も話さず笑いもせず、静かに目を閉じました。
14日(日)、夕方ちょうどお風呂にはいってたところ
お母さんから電話がきて。声震えてた。
慌てて出て、新幹線の時刻表をみて
八戸行きの新幹線の終電20:08
急げば間に合うと思い、びしょびしょのまま荷物を適当に詰め込んでギリギリで乗車。
震えが止まりませんでした。
向こうに着いてタクシーでお父さんがいる病院へ。
お父さんはまだ一生懸命息をしていましたが、手も足も口もなにも動かない。
家族とおじちゃんおばちゃんたちがいる中で叫んでしまいました。
そしたら、一回もしなかったまばたきをしてくれました。
全くしなかったそうです。
その日の夜は私とお母さんと一緒にお父さんのそばにずっといました。
夜が来なきゃいい。
このままでもいいから時間が止まって欲しいと願いながらずっとお父さんと一緒にいました。
けど、どんどんお父さんの呼吸が違っていく。
朝日が昇った頃、呼吸が浅くなっていく。
朝だよ
おはよう
お父さん
がんばるんだよ。
今からみんな会いにくるからね。
おとうさん
おとうさん
がんばるんだよ。
って声をずっとかけて
そしたら、お父さんおっきい涙を一粒流して
そのまま眠っていきました。
2012.10.15 午前7:10
私とお母さんだけに看取られて、眠りました。
手を握ったまま、離せませんでした。
あったかいんだもん。
全然離せない。
なんでこんな急に。
なんで
なんで
いつも気丈なお母さんは、砕け落ちるようにお父さんの胸で泣いてた。
絶対人の前で泣いたりしないお母さん。
私が抱えてないと立てないくらい。
泣いてた。
おとうさん、5日前さ、私の結婚と、孫見てから。って笑って言ってたじゃん。
俺死にたくない、って言ってたじゃん。
絶対生きるっていってたじゃん。
まだまだ親孝行してないのに。
どこいくのよ。
お父さん。
病院からお父さんと一緒に家へ帰って。
ずっと一緒にいました。
ずっと一緒に寝ました。
話しました。
泣きました。
でも、お父さん笑ってんだもんな。
旅立つ日の洋服はやっぱりモーニングでしょ!ってことで
お父さんがお姉ちゃんの結婚式用に自分で仕立てたモーニングを着せた。
着せたらまた笑ってたね。
お父さん、この日はね、こんなに海がきれいだったんだよ!
うちはオーダーメイドの仕立て屋なんです。
テーラーハタナカ。
お父さんはめちゃくちゃおしゃれ。毎日ワイシャツにネクタイ締めてた。
いつもビシッときめてた。
健常なお父さんではありませんでした。
だけど、シャレ男なんです。
だから、おしゃれして髪もセットして顔もきれいにして送った。
かっこよかった。
朝になれば上手な口笛吹いて、うろちょろしながら鳥にえさやり、花に水、
その口笛が聞こえない朝はやはり慣れない。
いない。
家にいるような気がする。
亡くなったのがまだ信じられない。
すごく変な気持ちです。
寝てんじゃないかと思って部屋に行く。
けど
いない。
花嫁姿を見せたかった
自分の子供を抱っこしてほしかった
子供が大好きなお父さんだもん
この前東京来たとき一緒にご飯食べればよかった
もっと電話すればよかった
もっと、いっぱい写真とっておけばよかった
5日前、東京に戻ってこなかったらよかった
そばにいればよかった
もう会えない。
声も聞こえない。
この現実はいつ受け入れられるのか
悲しいよ
心にぽっかり穴が開くってこのこと
おとうさん、家族4人支えてくれてありがとう。
本当にありがとう。
決して丈夫な身体ではなかったのに。
頑張ってくれてありがとう。
笑わせてくれてありがとう。
お母さんのことはわたしに任せて!
お父さんはこれから普通の食事もできる、大量の薬も飲まなくていい、
ゆっくり休んで、好きなこといっぱいしてね。
笑って私たちを見ててね。
お父さんからわたしへの最後のプレゼントはこのリング。
ずっと、お父さんがはめてたリング。
これは自分の将来の子供へのプレゼント。
Rest in peace my dad.
わたしのお父さん 畑中敏夫 享年64歳
お父さん、ありがとう。
ずっと大好き。
心から愛してるよ。